この研究報告書は、「年代を(科学的に)明らかにする」ことだけを目的と しているのではなく、「地域の文化財保護行政に対する貢献を見据えているところにも 大きな特徴がある。」(第 1 章 研究の背景と目的 1-3 研究の目的)として、もう 一つの重要な研究目的があるという点を強調している。 この文化財保護というものは、地域の人々によって支えられるということを前提とし ている。文献史料等で、明らかに保護されるべきものがあっても、予算上の問題、他と の比較や配慮・思惑、確定的な調査研究の不十分さ、対象となる研究素材に追いつかな い文化財保護行政の課題等々、文化財保護行政を発展させる上での課題や問題はきわめ て多いものだ。文化財保護に値する価値を有しながら、その価値が見過ごされ何百年と、 地域社会と住民の中で支えられつづけ、生き続ける価値もある。そのようなものに焦点 をあてた研究と報告書があれば、地域の文化財保護行政に大いに貢献できよう。 そのような意味で考えれば、この報告書の内容には、地域の人々への文化財に係わる 啓蒙を促す契機になる性格と特徴を含んでいるといえる。
(研究者などの敬称略)
1.「ふるさと史考」(平成10年・1998年7月4日発行) 著者 船越元四郎
・八幡信仰と米子市馬場の八幡社史
・八幡大神の創祀について
・最近の八幡研究の主要方向
・原始八幡に関する学説について
・大仏鋳造と八幡神の中央進出
・石清水八幡宮の成立
・出雲の国の八幡平浜別宮
・北条町山田八幡宮
・法勝寺の馬場八幡
・西伯町谷川の八幡(福田庄八幡宮)
・倉吉余戸谷町生田八幡宮
・伯耆の国西部における土着豪族紀氏一門と八幡信仰
・伯州会見郡大社八幡宮御由緒書 内藤官兵衛以降代々記録(天正十七年)
・内藤家系図写し
・江戸時代馬場村由緒概要
2. 新修鳥取県米子市史第九巻 資料編近世二 八幡神社由緒 (平成14・2002年3月1日発行)
鳥取県米子市史編纂委員会
・八幡神社神主内藤氏系図
・伯州会見郡大社八幡宮御由緒書
・八幡宮社領会并旧記録写差出控
3.八幡神社所蔵古文書一覧(2013年9月)
古文書調査・一覧表作成者
鳥取県立博物館学芸員 大嶋 陽一
・1頁~16頁迄 209の所蔵古文書
4.八幡神社所蔵中世文書一覧(2013年5月)
中世文書調査・一覧表作成者
鳥取県立博物館 県史編纂室 岡村 吉彦
・1頁~6頁迄 天正・慶長年間、年月日不明など6種類の文書
5.八幡神社所蔵近世・近代の「和綴もの」(2014年4月)
和綴もの調査・一覧表作成者
国立米子高専 松崎 安子
・1頁~7頁迄 304の和綴もの(文書)
6.「歴史探訪解説」(平成6年7月2日) 中曽治雄・山本篤行・内藤和比古 他
・八幡宮之鎧櫃 紀朝臣河岡山城守久貞公寄進
・内藤社家の歴代
・八幡神社棟札 (1.書き上げ記載の棟札 2.現存する主要棟札)
・明和8年~慶応2年までの遷宮役員
・諸大名群雄割拠の略図 二 (永楽12年の国々)
・報道資料:探訪伯耆天満城 尼子、毛利氏が争奪戦
・鳥取縣歴史散歩新全国シリーズ三十一 坂中廃寺
・報道資料 日本海新聞
「河岡城主の子孫・山本さんが鎧櫃の外箱を新調し八幡神社へ奉納(平成6・1994年)
7.「八幡神社所蔵文書等調査報告~八幡神社の歴史と由諸」
(平成26・2014年4月13日 米子八幡神社 例大祭・春祭)
鳥取県立博物館学芸員・大島陽一
・鳥取藩政と神社 ①鳥取藩の神社 ②寺社行政
・八幡神社の由緒と歴史 ①江戸時代以前 ②江戸時代
・八幡神社内藤家系図
・資料
①「鳥取縣神社誌」八幡神社②内藤家資料「八幡宮由緒書」(宝暦十一年、1761年)
③神道裁許状の例
8.「八幡神社棟札に見る形態・内容と中世伯耆・出雲の八社八幡宮」
(2011年度・日本建築学会中国支部研究発表会)
千葉工業大学准教授・藤木竜也
・はじめに
・八幡神社の形態と内容
①「棟札資料」 ②八幡神社の棟札の寸法・形状 ③「棟札資料」に見る社名表記
④「棟札資料」に見る願文・願主 ⑤「棟札資料」に見る工事内容の表記と大工棟梁
・中世伯耆・出雲の「八社八幡宮」
①「棟札資料」に見る「八社八幡宮」②出雲の「八社八幡宮」③まとめ
9.「八幡神社所蔵棟札についての調査報告書~天正・文政・元文棟札」
(平成25、2013年4月13日 米子八幡神社 例大祭)
千葉工業大学准教授・藤木竜也
・はじめに ①全国一の保有数 鳥取縣 ②米子八幡神社の保有数は70枚
・米子八幡神社の創立(養老4年 720年)
当社保存の「書上帳」記載の棟札
○遷宮月日 天永2年(月日不明) 1111年
・八幡神社の棟札の形態と内容
①天正年間(12年、17年)の棟札2枚についての調査解説及び調査解説
②元文3(1738)年「八社八幡宮」棟札~八幡神社の社歴記載「源頼朝が
鶴ヶ丘八幡宮建立に際して『一国八社八幡宮』を勧請し,当社がその総社
であった。」
10.「米子八幡神社の棟札と本殿・拝殿の建築年代」(平成27年、2015年3月31日)
「近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究」
(浅川滋男・原島修編)の第3章に収録
4月12日(日)春の例大祭の際の「講演会」
4月22日(日)春季例大祭の際、「近世木造建造物の科学学的年代測定に関する基礎的研究」の一環として「八幡神社の棟札と拝殿・蟇股の年代」とする講演会が行われました。例年よりも多い約60名に及ぶ参加者がございました。ご講演の皆様方、および参会者の皆様に御礼と感謝を申し上げます。
この研究は、鳥取環境大学保存修復スタジオが、平成25年度に学内特別研究費、翌26年度に鳥取県環境学術研究費の助成を受け「中近世木造建造物の科学的年代測定に関する調査研究』に取りくんできたものです。
米子八幡神社については、「本殿・拝殿の実測、棟札の翻刻、蟇股・神像の科学的年代測定などの調査をおこない、平安時代に遡る測定年代を始め瞠目すべき成果をあげてきた」と、報告者は述べておりました。春季例大祭後の午後2時~4時にかけて、拝殿にてその成果が公開されました。
講演会の前に、予め鳥取環境大学保存修復スタジオ研究室のポスターやブログ等で「お問い合わせは八幡神社(TEL0859-27-0339)もしくは鳥取環境大学保存修復スタジオまで」とする広報メッセージがブログ等で発信されていた効果もあってか、当社への問い合わせも多く、参加者も例年以上となりました。この研究報告書では、上述のように米子八幡神社関係の研究素材に係わる研究報告がその内容の過半にわたりとり上げられ、その基礎研究報告書の重要部分を構成しています。
まず「近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究」(報告書)
の内容を目次より概観する。
全体は以下のように構成されている。(同書5頁)
米子八幡神社関係は茶字で示している。
□絵(*サイト管理者 注 写真版) 1頁~4頁
絵1~絵31の内
米子八幡神社関係の絵は19例 頁数4頁の内2.5頁分
米子八幡神社 絵1~絵19 計 絵19例
聖神社関係 絵2例
長谷寺関係 絵8例
籠守神社 絵2例
□目次/例言 5頁~ 6頁
□第1章 研究の背景と目的(中島・浅川) 7頁~ 9頁
□第2章 聖神社と長谷寺本堂の建築年代(中島・浅川) 10頁~15頁
□第3章 米子八幡神社の棟札と本殿・拝殿の建築年代(原島・中島・浅川)
16頁~37頁
□第4章 「酸素同位体比年輪年代測定について(中島・宮本)
38頁~39頁
□第5章 おわりに(浅川) 40頁~44頁
【付録】
1.放射性炭素年代測定の成果報告(パレオラボ)45頁
No.1 八幡神社拝殿・弊殿境蟇股(D04)46頁~48頁
No.2 八幡神社拝殿側柱筋蟇股(A05) 49頁~51頁
No.3 八幡神社所蔵立膝女神像(A) 52頁~53頁
No.4 八幡神社所蔵立膝女神像(B) 54頁~55頁
No.5 八幡神社唐獅子 56頁~57頁
No.6 八幡神社狛犬 58頁~59頁
No.7 長谷寺所蔵巻斗 60頁~62頁
No.8 本石橋家住宅土間境通柱 63頁~65頁
No.9 本石橋家住宅土間境差物 66頁~68頁
No.10 本石橋家住宅小屋束① 69頁~70頁
No.11 本石橋家住宅小屋束② 71頁~72頁
No.12 ブータン ダカルパ僧院群ゲムジャロ寺蹴放 73頁~74頁
2.研究報告「近世における長谷寺本堂の修復について」
(原島)88頁~75頁(裏表紙側から縦書き)
3.翻刻『長谷寺要用書記』下(原島)99頁~80頁(裏表紙側から縦書き)
4.翻刻『米子八幡神社棟札』(原島)126頁~101頁(裏表紙側から縦書き)
凡例 127頁
目次 128頁
写真解説 130頁~129頁
①写真1 宝暦年間の長谷寺本堂修復 ②写真2 長谷寺の住人
鳥取環境大学『大学紀要』第13号と米子八幡神社研究
この報告書は、専門的で新しい科学的手法を駆使した研究報告であるため、当社拝殿における報告といえどもネットでの公開は研究者の権限に属することもあり、HPでの詳細報告を行ってきませんでした。
また、事前・事後を含め、外部からの内容照会に対しても、直接、ポスターにあるように鳥取環境大学保存修復スタジオまで、必ずお問い合わせするようお願いして参りました。事前報道等が、一部研究発表内容にそわない点があったとも指摘されましたが、今回このように大学の学術研究の県民還元への努力によりこの点も含めて、改めて確認することができるようになったことは、歓迎されています。
事前事後の経過・開催等について配慮すべき点や改善すべき点も指摘されておりますが、何卒ご寛容賜り、今後も当社に係わる学術研究及び遷宮の実現に、変わらぬ御協力・ご支援の程、宜しくお願い申し上げます。
講演会後、「その報告書の内容等について、くわしく知りたい」というご要望も多く寄せられて来ていましたが、このたび、研究の皆様と鳥取環境大学のご努力により、その研究論考が、『鳥取環境大学紀要』第13号として刊行され鳥取環境大学HP(ホームページ)の『大学紀要』に関するサイトに公開されることとなりました。(H27年6月29日現在、『大学紀要』の米子八幡神社の関係ファイルの目次には、関係のないファイルがリンクされており、確認することができない。)
その中に、米子八幡神社に係わる論考が入っております。99頁から128頁までが「米子八幡神社の棟札と本殿・拝殿の建築年代」(原島修・中島俊博・浅川滋男)が、それです。この報告は、当社遷宮にご協力の地域住民や総代会の皆様、当社之建築・文化遺産、文化史料にご関心の方々の期待に応えるものと存じます。
(注)鳥取環境大学『大学紀要』第13号:p・99-128『米子八幡神社の棟札と本殿・拝殿の建築年代』は、報告書『近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究』(浅川・原島編2015)第3章の原典となったもののようですが、論文投稿後に炭素14年代の新しい成果がもたらされ、報告書では、結論を大きく書き改めている、とのことです。この点は『大学紀要』発表後、改めて比較して紹介させていただきます。
*本サイトメニューの『研究業績一覧米子八幡神社学術研究』でも,公開されたその研究報告書の内容を紹介し、関連する部分について論評紹介して参ります。
ご利用にあたっては、鳥取環境大学から以下の使用規定が示されています。
*H27年6月29日現在、大学紀要の米子八幡神社の関係ファイルの目次には、関係のないファイルがリンクされており、確認することができない。
□鳥取環境大学紀要等、論文利用規程□
・各論文の著作権は著者に帰属します。
・本サイトでは、著作権者から提供・許諾を得られた論文のみ全文を公開しています。
□論文の利用にあたって□
・論文の複製(プリントアウト、ダウンロード等)は、個人の調査、研究、及び教育、学習を目的とする場合に限る。
・論文を引用する場合は、著作権及び情報の発生源を明示すること。
・論文の標題及び内容を改変しないこと。・著作権法の規定を遵守すること。
11.八幡神社遷宮の歴史 米子八幡神社・社殿年譜
(平成25、2013年4月13日 米子八幡神社 例大祭)
千葉工業大学准教授・藤木竜也作成
・年譜1頁目
天永2(1111)年ー明應7(1498)年ー天文19【1550)年ー天正12(1584)年ー天正17(1589)年
ー寛永11(1634)年ー永應2(1653)年ー延寶元(1653)年ー元禄7(1694)年ー正徳5(1715)年
・年譜2頁目
寶暦年間(1751~64)ー明和8(1771)年ー安永10(1781)年ー寛政11(1799)ー文化13(1816)年ー文 政11(1816)年ー天保13(1842)年ー慶應2(1866)年ー明治24(1891)年ー大正15(1925)年ー昭和 3(1928)年
・年譜3頁目
昭和34(1959)年ー昭和40(1965)年ー昭和41(1966)年 日野川改修工事のため社殿移築再建
□八幡神社現存社殿の概要□
・本殿 天保13(1842)年建立、昭和34(1959)年 屋根改修(檜皮葺→銅板葺)
・拝殿 寛政11(1799)年建立、大正15(1925)年改修(富次精齋設計)
弊殿については詳細不明
本殿・拝殿とも昭和41(1966)年の移築再建での改変について調査要
・社務所 昭和41(1966)年に假殿として新築(桑本真一設計)
・随神門 昭和41(1966)年に假殿として新築(桑本真一設計)
12.八幡神社と三十六歌仙額(2011年11月1日)
ノートルダム清心女子大学 准教授 原 豊二
・八幡神社への招待
・中村一忠奉納「三十六歌仙額」
・裏書きから考える「慶長期」
・裏書きから考える「元禄期」
・八幡神社三十六歌仙額 和歌解読
・赤外線撮影で見えるもの
・報道された三十六歌仙額
・米子の古典文学資料
・伝えるべきこと 伝えられるべきこと
13.「伯耆地方の古典文学ー『八幡神社と源氏物語』」
執筆者 ノートルダム清心女子大学 准教授 原 豊二
・『もっと知りたい池田亀鑑と「源氏物語」』 第2集
157頁~163頁 (新典社 池田 鉄也 編)
・八幡神社所蔵「源氏物語」三冊(写本)
・桐壷巻2冊、箒木巻1冊
□ このHPのナビメニュー「八幡神社と三十六歌仙」もご参照ください□
14.伯耆文化研究会報告(2011年5月14日)
執筆者 ノートルダム清心女子大学 准教授 原 豊二
・八幡神社蔵 中村一忠奉納「三十六歌仙額」
・八幡神社蔵 和歌資料 調査報告
・参考資料 中村一忠と和歌
・参考資料 新聞各紙
15.「八幡神社蔵:神像類調査報告概要」(平成24年3月29日)
関西大学文学部・長谷洋一教授
・神像群の調査・公開について
・調査の経緯
・調査の概要
1.女神坐像(52.2センチ 平安時代11世紀、その後10世紀の制作と判明)
2.女神坐像(33.2センチ 平安時代12世紀)
3.僧形神坐像(34.8センチ 平安時代12世紀)
4.女神坐像(30.3センチ 平安時代12世紀)
5.男神坐像(29.0センチ 平安時代12世紀)
6.男神坐像(27.7センチ平安時代12世紀)
7.不動明王立像(37.2センチ 平安時代12世紀)
8.女神像(34.8センチ 江戸~明治時代 19世紀)
9.男神立像(54.6センチ 江戸~明治時代 19世紀)
10.神像断片(19.3センチ 年代不詳)
11.神像断片(24.8センチ 年代不詳)
12.童子形立像(24.8センチ 年代不詳)
13.如来坐像(18.0センチ 年代不詳)
14.如来立像(56.8センチ 平安時代)
15.観音菩薩立像(59.6センチ 平安時代)
16.天部立像(38.4センチ 平安時代)
17.菩薩立像(33.2センチ 平安時代)
18.破損仏像(38.2センチ 時期不詳)
19.如来立像(17.0 時期不詳)
20.地蔵菩薩立像(20.6センチ 時期不詳)
21.如来立像(19.5センチ 時期不詳)
22.木彫片(19.8センチ 時期不詳)
23.木彫残片(16.5センチ 時期不詳)
八幡神社神 像類一覧
16.「八幡神社蔵:女神像解説」(平成25年4月)
高さ50.4センチをはかる女神像は、髪を束ねて頭上で結い上げ、さらに左右に振り分けている。丸い顔に目鼻立ちをあらわし、左の襟を内側にして内衣を着し、その上から外套衣(がいとうえ)を着しており、幅広い帯を腰で締めている。右足を曲げ左足は膝を立てて坐し、右手は右膝の上に置き、左手も立てた左膝の上に置いている。両手先は失われている。
女神像は広葉樹の一木から掘り出しており、像底からの観察では木心が左右に二つ認められる。このことから神像制作に使った木材は枝別れした部分か、こぶ上の隆起があるものと推測でき、彫刻用には不向きなこうした「クセ」のある木をあえて使用していることから「御神木」など由緒のある木を使ったと考えられる。
表面には白の地色に赤の花柄模様や緑の彩色、頬などに墨線で髪の毛などをあらわしているが、花柄の輪郭が墨線であることや花弁に金泥(金粉をニカワで溶いたもの)を使用していることから、後の時代(江戸時代)に施されている。ただ右すねにあたる部分には制作当初の朱色が残っている。
ふくよかな体のボリューム感からは威厳が感じられ、また丸い豊かな顔に小ぶりな目鼻立ちからは親しみやすさが感じられ、両者が調和した点が、この神像の大きな魅力となっている。
片膝を立てる神像は全国で十二例ほど認められ、いずれもが九世紀から十一世紀までの制作と考えられている。一昨年暮れに発見された女神像は大胆で豪快な作風を示しており十世紀後半から末頃の作品と見られる。
それを比べると、今回の女神像は表情が穏やかで、全体に丸みを帯びた造形で、制作時期としては先の女神像よりわずかに降りる10世紀末頃と考えたい。
鳥取県の神像は、これまで三物寺宝物館にある女神像(鎌倉時代)と一昨年の八幡神社の神像群以外には知られないが、同じ八幡神社から県下最古級の神像がさらに発見されたことから、八幡神社の歴史や山陰地方での神道の歴史を明らかにする上で、重要な資料であると考えられる。
(関西大学文学部教授 長谷洋一)