米子八幡神社
創建 伝養老4(720)年



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諸願成就を祈る


当社への経路

  • 自動車・観光バス・JR~JR米子駅より車で約15分、山陰道「日野川東」出口より約5分、JR山陰本線伯耆大山駅から車で約10分
  • 日本交通バス~JR米子駅前バス停にて、水浜・遠藤線に乗車し約40分、バス停:東八幡で下車して、目の前が米子八幡神社
  • 八幡神社は、一級河川である日野川の土手沿いにあり、ここからの大山の眺望は格別。八幡橋(やわたばし)が目安になります。

7月の行事  夏まつり

映像で知る米子八幡神社

米子八幡神社の「創建由緒と歴史」や「当神社の今」を知る映像のページです。

 

先ずは

中海TV制作の映像「日野川物語」から、当社1300年の歴史と物語にお入りください。雄大な大山と日野川の流れと共に、音楽が流れて、創建の時代に私たちを連れていきます。中海テレビ制作の映像です。ナレーションは、同放送の本池美香さん。

 

米子八幡神社夏祭り 輪くぐり人形流し祭    令和7年7月31日(木)

   米子八幡神社古式  輪くぐり人形流し祭!

 

 

夏祭りにおける祈祷・お祓いの様子です

 

摂社・末社 夏祭り日程

 

708  伯耆町坂長・賀茂神社

710  伯耆町遠藤・中川神社

711  伯耆町立岩・生石子神社

712  伯耆町𠮷長・日御崎神社

714  伯耆町小野・小野神社

715  伯耆町小町・小町神社

715  南部町鶴田・鶴田神社社

717  米子市東八幡・八幡神社末社秋葉神社

719  伯耆町殿河内・岡崎熱田神社

720  伯耆町押口・押口神社

7/28  米子八幡神社 末社荒神社夏祭り

831  米子市東八幡・八幡神社末社武内神社

 

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               当社の御祭礼・御祈祷について ご祈祷料
地鎮祭 釜清め  
病気平癒  
交通安全 家内安全  
社運隆盛・商売繁盛・起業祈願  
開運祈願(年男・年女)、成人詣り祈願  
安産祈願  
初詣祈願・仕事始め祈願  
初宮詣り祈願(お宮詣り)  
七五三詣祈願  
十三詣り祈願  
必勝祈願  
受験合格祈願  
心願成就・諸願成就  
祝歳参り祈願(古希、喜寿、傘寿、卒寿・白寿)  
結婚式  
神葬祭  

6月の行事

6月22日(日)14時~総代会


5月の行事

令和7年 菖蒲の節句          5月5日子どもの日(祝)


 

春の例大祭 七十五膳の神事 

     

令和7年 4月13日(日)午前11時

  

荒神神楽奉納 

  

 

 家内安全・心願成就・交通安全・病気平癒

商売繁盛・事業発展・悪疫退散・災禍消除

 

 □当社では例年、春祭り、夏祭り、秋祭り、新嘗祭、としごいの祭り、七十五膳の神事として、地域住民の皆様の繁栄と健康、農業などの生業の豊作を祈念して、これらに係る米子八幡神社の歴史や文化遺産、建築意匠に係る講演会などの行事を催行して参りました。

 

■今年の例大祭の企画については、細部具体化次第、お知らせ致します。

 

 例大祭は、八幡神社大神様の神徳に感謝し、地域の人々の厄除け開運、新年の豊作と繁栄、家内安全・心願成就、交通安全・病気平癒・商売繁盛・事業発展などを祈念する大切な春祭りです。

 

 

七十五膳の神事を執り行わせていただきます。八幡大神様のご加護を賜りますよう、それぞれでご祈念を深めてお参り願います。

 


元旦祭

初詣にようこそお参りくださいました。本年も幸多き年でありますよう心よりお祈り申し上げます  令和七年 乙巳 八幡神社

初詣参拝のお願い

家内安全・心願成就・交通安全・病気平癒

商売繁盛・事業発展・悪疫退散・災禍消除

明けましておめでとうございます。今年もそれぞれにとって健康で幸せな一年となりますよう祈念いたします。生活不安の解消、家内安全、心願成就、進路実現、子孫繁栄、安産祈願、商売繁盛、心身健勝、交通安全を祈りましょう。

また新型コロナウイルス・インフルエンザなど、呼吸器疾患への感染罹患の回避、罹患しても五臓安全、災禍清浄、大過に至らないよう願いましょう。

戦火の絶えない世の中です。日本と世界の平和を祈りましょう。

令和7年元旦 霊峰大山

新しき年の初めの初春の

    今日降る雪のいやしけ吉事

万葉の歌人、主たる選者であった大友家持の歌です。

 

古来、新年に降る雪は、縁起が良いとされていました。縁起が良い雪と同じように、吉事(よごと)、良いことが、新しい年にたくさんふりかかってきますようにという願いが、この歌にはこめられています。

 

「新しき」は、「あらたしき」と読んでいました。「今日降る雪の」の「の」は、「~のように」という比喩を表します。「いやしけ」は現代語にはないですが、「ますます重なる」の意味で使われています。「いや」は「いよいよ、ますます」、「しけ」は「重なる」の意味です。

○日本の人々は、除夜の音を聞き、年改まってすぐに神社に参り、そして初日の出を拝みます。

 

○新たな年の初めを、それぞれが希望や願いをもって神社に参拝し、祈念・祈願します。近隣住民が、新年の祝賀を交換する場でもあります。

 

○新型コロナウイルス感染拡大のなかで、悪疫退散、コロナ完全収束への祈願は欠かせません。

 

ダイヤモンド大山 10月14日(月・祝)


成人の日 1月13日(月)おめでとうございます


とんどさん 1月12日(日)


節分祭 令和7年2月2日


 

鬼を払い、福を呼び込む」 節分行事

今年の節分は2月2日です(昨年は2月3日)

節分とは本来「季節を分ける」ことを意味しています。「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日が節分となり、年に4回あります。一年のはじまりは春からだと考えられていたため、立春は現代で言うお正月のような大切な日。その節分である2月2日はいわば大晦日(旧暦12月30日)です。

この日には、古来一年の厄を払い、新しい年の福を呼び込むための「追儺式」という行事が行われてきました。同じ追儺式でも、寺院や神社によってさまざまな特徴があり、神楽や狂言の奉納が行われるなど、各地でバラエティに富んだ節分祭が行われています。豆まきの行事が各所で行われる風習があります。

節分とは中国で発祥した二十四節気です。元々は、立春、立夏、立秋、立冬の各前日が節分とされていましたが、現代では立春のみが節分として定着しました。

 

 なぜ立春の日付が変わるのか?

 というと、これは“閏年(うるうどし)”を設けているのと同じ理由です。1年は365日と思いがちですが、国立天文台公式サイトの解説によれば、地球が太陽のまわりを回るのに、実は365日+6時間弱かかっています。これでは、どんどん実際の季節と暦がズレていってしまいます。

 そのズレを防ぐために、4年に一度の閏年を設けて日数を調整しているわけですが、それにあわせて立春の日付も変わります。


令和7年ひな祭 3月3日

女の子の節句、おひな様を出して飾る風習があります。上巳(じょうし)は旧暦3月3日の節句で、桃の花が咲く季節であることから桃の節句とも呼ばれました。上巳(じょうし)は、3月の最初の巳(み)の日です。古代中国には、この日に川で身を清め、浮上を祓う風習がありました。3が重なることから、重三(ちょうさん)とも言われました。日本では、王朝時代からこれらの行事が取り入れられるようになりました。紙で小さな人形・形代(かたしろ)を作り、そこに汚れをうつし、川や海に流して、お祓いをするようになりました。現在でも、「流し雛」の風習に、名残が見られます。



令和7年 節句祭  菖蒲の節句          

5月5日子どもの日(祝)

歌人 山上憶良 筑前国守時代、視察の途中に作ったものである。万葉集から引用。

 

―子等を思ふ歌一首、また序

  瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ

  いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて

  安眠(やすい)し寝(な)さぬ(802)

 

反歌

  銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも(803)

 

旅先で瓜を出されて食べていると、赴任前に都においてきた子どもの顔が思い出される。次に栗を出されて食うと、いっそう子どもの顔が思い出される。子どもとはどんな宝物にもまさる賜物なのだろう。

 

「その顔がまぶたのうちに焼きついて、寝ることもできない。」と憶良は言う。

 

実に慈愛に満ちた、父親の情愛ではないか? この情愛が日本の文学史上、初めてこうして文字に表現されて残り、その価値と感情表出は今もなお、比類を見ない。

 

米子八幡大神様の御力のご守護を願ってやまない。


令和7年 水無瀬の大祓い祭

       6月30日(月) 

新型コロナや新型の感染症が蔓延した世界の現実の中で、この祭事は大変大切なものです。改めて見直されています。

 

大祓の大とは、国家や社会をさし、大祓えは、国民全体の公(おおやけ)の祓えを意味します。祓えとは、自分の知らない間に、心身についた諸々の穢れや罪科(つみとが)、災厄などを取り除くという神事です。

 

穢れとは、「氣枯れ(けがれ)」「氣離れ(けがれ)」のことで、溌溂(はつらつ)とした生命の輝きや霊的な強さを表す「氣」が衰えた状態を、穢れと見たのです。気の穢れは、生命と日常生活の活気を奪うと思われました。

 

公的にはあまり行われなくなったこの大祓えは、水によって心身を清め、罪穢れを洗い流して海のかなたに祓いやる民間の習俗として精神・社会文化としても貴重なものです。

新型コロナウイルスなど多くの感染症で激変した世界と日本を、この麗しいい郷土を清浄にという願いをこめてこの日の祀りごとをご祈念致しましょう。

 

能登半島や日本各地の災害を体験し、地域の水源やその確保の必要性もましています。

 

 


当社の御祭礼・御祈祷



□令和7年 摂社・末社の秋祭り・日程□

10月 8日 伯耆町小野・小野神社

10月 8日 伯耆町押口・押口神社

10月 9日 伯耆町坂長・賀茂神社

10月11日 伯耆町立岩・生石子神社

10月11日 伯耆町殿河内・岡崎熱田神社

10月12日 伯耆町小町・小町神社
10月13日 伯耆町吉長・日御碕神社

10月21日 南部町鶴田・鶴田神社

10月28日 伯耆町長者原・北峯神社

10月29日 伯耆町遠藤・中川神社


令和7年 秋祭り 例大祭 9月15日(祝)

秋祭りは、稲作の終わりに際して神の恩愛に感謝する催しです。春に祈った祭りに対応して、実りの秋を感謝します。当社にとっても、地域共同体にとっても大切なお祭りとして続けられてきました。

 


令和7年11月23日(祝)   新嘗祭 新穀感謝祭

 

新嘗祭は、もともとは宮中祭祀で秋の収穫を神々に感謝するという行事でしたが、太平洋戦争後は勤労感謝の日ということで、地域住民の行事となりました。9月15日の秋祭り同様、稲作の終わりと収穫に際して、地域住民と共に神の恩愛に感謝する催しです。春に祈った祭りに対応して、実りある秋の収穫に感謝します。

 

午後6時 祭典(神事)

 

浦安の舞奉納


荒神神楽奉納

    神像保護で鳥取県・米子市から防犯・防火対策竣成

              


ダウンロード
八幡神社神像 附(つけたり)神像3躯の解説
米子市の八幡神社の多くが平安時代半ばから鎌倉時代の初め(およそ1000年~800年前)頃に制作されました。神像がこれほどまとまっている例は鳥取県内で他になりません。最も古い大型の3躯(女神・僧形・女神)はセットで「八幡」という神様をあらわし、彫刻の材料としては珍しいムクノキから掘られています。
令和4年度鳥取市歴史博物館展解説シート11月23日.jpg.pdf
PDFファイル 601.9 KB


□企画報告□

「とっとりのお宝おひろめ」 鳥取市歴史博物館(やまびこ館)

  令和4113()1211()

    令和3年度鳥取県指定文化財の展示

 指定文化財になった当社神像の内、数点を展示しています。

県保護文化財に指定 令和3年11月19日

                

  八幡神社神像

  鳥取県文化財保護審議会 


ダウンロード
神像 説明資料
作品 個別概要 伝来・歴史・社地 考察 評価
令和3年11月選定説明資料 米子八幡神社神像.pdf
PDFファイル 640.6 KB

令和3年9月6日(月) 鳥取県文化財保護審議会

県保護文化財に指定

鳥取県公報 告示610号 令和3年11月19日

八幡神社神像、永田家文書など4件が県保護文化財に

朝日digital 東孝司
写真・図版
平安期につくられた八幡神社の神像=鳥取県提供
  • 写真・図版
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 【鳥取】県文化財保護審議会(会長=長谷川博史・島根大学教授)は6日、平安~鎌倉時代八幡神社神像群(米子市)や中世伯耆国の不動産取引を記録した「永田家文書」(県立博物館管理)など4件について、いずれも諮問通り県保護文化財に指定するよう平井伸治知事に答申した。

 八幡神社の神像群は、平安期の10世紀末から鎌倉期の13世紀前半に一木造りで制作された女神像や男神像、僧形神像の11体。破損が著しかったり、時代が新しかったりする3体は「附(つけたり)」として加えられている。

 神像群の中核をなすとみられる11世紀初頭までの3体は、ともに頭部が球形に近く、量感のある体格で、ムクノキを材にしている。うち2体は像底の木目に連続性が確認でき、1本の材を縦に割って2体を彫ったことが推定できる。いずれかの時期から応神天皇・比売神(ひめがみ)・神功皇后の「八幡三神」の三尊一具として安置された可能性がある。

 県文化財課は「平安の半ばまでさかのぼる神像は全国でも決して多くない。美術史や信仰史において貴重な存在」と評価する。

 あわせて三朝町内(非公表)に伝わる平安後期~鎌倉期の神像4体も指定が答申された。目を見開いて歯をむき出しにした、全国でもまれな憤怒の表情をしているものが含まれる。

 個人蔵で県立博物館に寄託されている「永田家文書」は、伯耆国八橋郡向原村(現・琴浦町)を中心にした1551~1860年の田畑・屋敷の売買証文など206点。このうち町文化財になっている1600年以前の中世文書20点を県指定へ格上げする。

 尼子、毛利、南条氏らが激しく争った戦国の戦乱下にあっても、在地では自立して普通に売り買いが行われていたことを物語っている。同課の担当者は「これまでは為政者側の文書を指定、保護してきたが、今後は地域に根ざした記録も保護していきたい」と話す。関連する山陰歴史館(米子市)所蔵の「長田文書」2点も指定する。

 今回の4件が指定されると県保護文化財は計166件になる。神像の指定は初めて。(朝日新聞報道より)

鳥取県文化財保護条例(昭和34年鳥取県条例第50号)第4条第1項の規定に基づき、次のとおり鳥取県指定保護文化財の指定をするので、同条第3項の規定による告示する。 令和3年11月19日    鳥取県知事 平 井 信 治

 

彫刻の部

名称  神像 附神像3躯  

員数  神像11躯 附神像3躯

所在の場所  米子市東八幡276 八幡神社

県文化財指定の理由~県文化財保護委員会答申 神像説明資料

ナビ・メニュー 女神・神像群と解説・報告のサブメニュー 神像説明資料へ

 


八幡神社創建由緒と歴史


米子八幡神社 創建の時代


 

米子八幡神社の創立沿革

 

社伝・古文書によると、八幡神社の創立は養老4(720)年である。研究者や史誌によっても、「創立は少なくとも平安時代後期まで遡る。」といわれている。平安後期とされる神功皇后像などの神像群が発見されていることなどから、当時、このような神像を制作ないし奉納を受ける大社は、それなりの格式と伝統を持っていると推認できることから、奈良時代・養老4年創立とそれ以前の土地の神々への信仰の存在とゆかりは、八幡神社前史として、ほぼ間違いないものと考えられる。

 

天智・天武天皇~聖武天皇の時代、持統・元明・元正天皇 (女帝時代)=歴史人2012・11月号

 

聖徳太子が四天王寺を建立する際に百済から呼び寄せた工匠金剛重光を始祖とする宮大工集団企業・金剛組作成・作図による米子八幡神社の本社殿・拝殿調査報告書(平成23年2月17日)は当社について、2.創立沿革で以下のように記している。 *金剛組

 

「社伝に拠れば元正天皇の御宇、養老4年(720)9月の創立にして、その後の後鳥羽院の御宇、源頼朝の再建と伝える。古来より地方の大社として、朝廷や武門武将から信仰は特に厚かった。

 

元弘3年(1333)、後醍醐天皇が船上山に潜行の際は、名和長年一族と共に後醍醐天皇を奉じ,当社神主の巨勢宗國が参加し、忠誠を尽くし綸旨(りんじ)を賜った。(中略) (注)名和長年一族

 

また「江戸時代には、京都吉田神道の組織下でこの地域の総とりまとめとしての役割を担っていた。」



米子八幡神社と唐櫃

八幡様と銘―紀朝臣河岡城守久貞公(ここから見る!)

               歴史探訪解説

                   米子市八幡神社の唐櫃

       鳥取県 公文書館 第62回県史だより(←見る)

 

西伯耆の戦国武将と神社―米子市八幡神社の唐櫃をめぐって―平成235

 

 

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アクセス

米子八幡神社(社務所)

〒689-3535

鳥取県米子市東八幡276

TEL/FAX : 0859-27-0339

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米子八幡神社本殿屋根
米子八幡神社・本殿屋根  流麗な「流れ造り